~オリンピック・パラリンピックを目指すアスリートを応援~
東京アスリート認定選手・インタビュー(2)
安 直樹選手(江東区・中央区) 車いすフェンシング (2016/8/29)

東京都では、東京のアスリートが、オリンピック・パラリンピックをはじめとした国際舞台で活躍できるよう、競技力向上に向けた支援を実施するとともに、社会全体でオリンピック・パラリンピックの気運を盛り上げるため、「東京アスリート認定制度」を創設しました。

このページでは、認定選手の皆さんに「スポーツを通して自分を成長させ、スポーツと社会のよりよい関係を考えていこう」というテーマで、インタビューをしていきます。

安 直樹選手の写真

第2回 安 直樹 選手(江東区・中央区) 車いすフェンシング

【プロフィール】
やす なおき 1977年10月6日生まれ。茨城県ひたちなか市出身。
14歳のときに左足股関節骨の病気で手術を受け、重い後遺症を持つ。
車椅子バスケットボールを始め、2004年アテネパラリンピックに出場。
その後、イタリアに移籍し、日本選手初のプロリーグ選手になる。
2015年4月に車いすフェンシングに転向し、2016年アジア選手権7位。
電通アイソバー(株)所属

競技活動への支援が増え、環境が良くなるほど
それ相応の"覚悟"が必要になると思います

恵まれた環境に甘んじず、自ら周囲といい関係を作っていく

車椅子バスケットボールの日本代表選手として、アテネパラリンピックに出場してから、12年。今、安直樹さんは、「車いすフェンシングで、東京パラリンピックをめざす」という新たな目標を掲げ、日々挑戦を続けている。
「今回、東京都のアスリート認定選手に選んでいただいて、本当にうれしく思っています。東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まったこともあり、パラアスリートを取り巻く環境は、年々よくなっているように感じます。ただ、その一方で、パラアスリートは、支援を受けるには、それ相応の"覚悟"が必要だということを、忘れてはいけないと思います」。安さんは自戒の念を込めて、厳しい言葉を口にする。

練習中の写真

「病気や怪我で障害を負い、それを乗り越えてスポーツを頑張る。その姿をお見せすることで、感動を届けたいとパラアスリートは言いますが、ただ一所懸命やっていればいいわけではない。パラリンピックを、観戦チケットを買ってでも見たいと思ってもらえるような、見る人の心をぐっと惹きつけられるような、本気のプレーを見せられないと。それはもちろん、オリンピックをめざす選手も同じだと思いますが」。 安さんが車椅子バスケットで世界を目指していたころは、毎日一般社員と同様に、8時間勤務して、夜に練習したり、土日に練習や試合をして、休みがないという生活が普通だった。

「それが最近は、まだ競技歴が浅く、これからという若手のパラアスリートにも、"競技に専念していいから、うちで働きませんか"と企業から声がかかっていると聞きます。国際舞台で活躍するためには、競技の練習時間を少しでも多く確保したいと思うのは当然ですが、だからといってただ競技だけして、会社の人たちと関わりを自ら積極的に持たないというのは、違うように思います。どのように競技に取り組んでいるかを伝え、応援してもらえるような関係を、自分でつくっていかなければ」。
安さん自身、今年5月に今の所属企業に環境を移し、一から新しい関係を築いているところだ。「会社に対して自分は何ができるのか。パラアスリートとして20年活動してきた経験を後輩たちに、どう還元できるのか。2020年以降も、パラアスリートが活躍していくために、この4年で何ができるのか。追い風が吹いているうちに、やっておきたいことがいくつもある。その前に、自分が競技でまず良い結果を出すことが最優先なんですが」

海外のプロチームで戦い、人間的な強さを鍛えた

安さんは、中学生のとき左足股関節骨を手術した際に、後遺症が残り、車いす生活を余儀なくされた。もともとは根っからのスポーツ少年で、元気で明るい人気者。ところが状況が一転して周囲から気遣いの視線を集めることになり、次第に自分の姿を人に見られたくないと、不登校、引きこもりになってしまった時期もある。そんなとき、リハビリの一環として車椅子バスケットを薦められ、見学に行ったことで安さんの人生が変わる。小さな体育館には、ものすごい汗をかきながら、自在に車いすを操り、猛スピードで突っ込んでいく選手の姿があった。タイヤと床がこすれて焦げ臭いにおいが立ち込めるほどの、迫力あるプレーにただ圧倒された。プレーヤーとなり、力が付き始め、大きな体育館で行われている日本選手権を見に行った。ハイレベルな試合に、たくさんの観客が沸いているのを見て、自分ももっともっと上でやりたいと思うようになり、強いチームへ移籍、ついには日本代表に。

練習中の写真

2004年のアテネパラリンピックに出た後は、3年間、イタリアのプロチームでプレーしていたことがある。文化の異なる他国のチームメートと2LDKに暮らし、コートでも生活においても、言葉の壁や、し烈なスタメン争いに、毎日神経をすり減らすようなストレスに一人で、耐えていたという。
「ただ、バスケットだけうまくても通用しない。コミュニケーションがとれなくてはスタメンで機能しないし、言葉がしゃべれないと必要なケンカもできない。シュート一本外したら終わりという緊張感の中で、何がなんでも決めてやるという気持ちが強くなった」
海外で活躍するプロアスリートは、サッカーもテニスも車椅子バスケも、その競技で観客を沸かし、活躍と人気に見合う収入を得ている。チームに必要とされなければそれなりの待遇となる。そこに障がい者だからという甘えが入る余地はない。
「東京パラリンピックは、地元開催。そのときを迎えるまでに、どれだけ人間力を鍛えられるか。若いパラアスリートには、パラリンピアンやオリンピアンから"日の丸を背負うこととはどういうことか"を聞く機会を持ってほしいし、あえて厳しい環境に飛び込んで、地元開催の重圧を跳ね返せるような、人としての強さを意識して身に着けてほしいと思います」

一瞬で突き合う車いすフェンシングに転向、再び日本代表をめざしたい

ロンドンパラリンピックで、日本代表に選出されなかったとき、車椅子バスケットという激しいチーム競技の第一線で活躍していくことの難しさを感じた。とはいえ、まだスポーツに本気で挑戦したいという思いは強かった。悩んだ末、個人競技への転向を考えパラスポーツを調べ、機会をつくって体験に行った。そこで車いすフェンシングと出会った。車いすを固定し、相手と対峙し、剣で一瞬のうちに突き合い得点を重ねていく。荒々しく全身を使う競技と違って、駆け引きや早い展開の中で全神経を傾けて、スピーディに剣を使う集中力が勝負。肉体的疲労以上に、脳が疲れる気がして、生あくびが出そうになる。

どこで練習して、誰に指導してもらえばいいのか。中央競技団体の強化指定選手となり、フェンシングのオリンピックナショナルチームの活動拠点である国立スポーツ科学センターを使う許しを得た。オリンピック強化指定選手たちがいない朝の早い時間などに場所を借りたり、オリンピック強化指定選手が自分の練習をしていないときに相手になってもらい、技術を吸収した。コーチも満足にいない中、若い選手らに自分から声をかけ、指導をお願いした。本格的に練習を始めたのは2015年4月から。何もかも手探りではあったが、めきめきと頭角を現し、ワールドカップ、世界選手権を転戦。2015年12月日本車いすオープン大会優勝、2016年4月アジア選手権7位、2016年8月全日本選手権優勝。4年後の東京パラリンピックに向け、車いすフェンシングのエースとして海外でのランキングを上げることが今の目標だ。

練習中の写真

「強くなるために、どんなやり方があるか」「所属企業にどんなメリットを提供できるのか」「パラアスリートとして、社会貢献をしたい」「若いパラアスリートの教育や環境づくりのサポートをしたい」など、やりたいことがありすぎて、毎日時間が足りないという。
「あれこれやりすぎて中途半端にならないようにしたいとは思うのですが、立場的にもいろんなことをやりながら、人として競技者として力をつけていくことが求められているポジションにいるとも思うので。これからも、貪欲にいろんなことを実現していきますよ」

強くなるためのキーワード
車いすフェンシングの魅力

ピストと呼ばれるスペースに、110度に固定された車いすに乗って戦います。オリンピックのフェンシングと同じように、攻撃できる面などの違いから"フルーレ""エぺ""サーブル"の3つの種目に分けられます。安さんは主にフルーレとエペを行っています。
「一瞬の判断で、剣をコントロールし、ものすごいスピードで相手を突いていく。その迫力に注目してください」

http://www.2020games.metro.tokyo.jp/taikaijyunbi/taikai/syumoku/games-paralympic/p_w_fencing/index.html

東京×車いすフェンシング

「東京には北区にオリンピック強化指定選手が集まって練習している、国立スポーツ科学センター、通称JISSがあります。各競技の練習だけでなく、競技全般に関するフィジカルトレーニングを受けられたり、何より様々な競技のトップレベルの選手がいるので、見ているだけで刺激を受けます。まだあまり交流はしたことはないですが」

いま、戦っていること

「専門的に車いすフェンシングの指導ができるコーチに学んでみたい、海外の強豪選手と、もっと練習したい。フィジカルに関しては、オリンピアンやプロのトップ選手がトレーニングをしているようなジムで、パラアスリートに詳しいトレーナーに指導を受けたい。そんな理想的な環境が整えられていくように、周囲の方々と交渉してチャンスを作っていくことが必要。謙虚に、粘り強く頑張りたい」

【スポーツを通して身に着けられるライフスキル】

安さんの場合、一般企業での勤務、パラリンピック日本代表、海外のプロリーグでの活動など、多くの経験を積んでいます。そこで壁にぶつかって乗り越えてきたことが、人間力となって、競技者としてのさらなる成長を支えています。一競技者としてだけでなく、車いすフェンシングおよびパラアスリートの全体のリーダーとして、より視野を広げ、自分の掲げた目標をかなえるために、人を巻き込み、交渉力を磨いていくことなどがより求められていると思います。