東京パラスポーツスタッフ認定者インタビュー(19)ボッチャ/競技アシスタント 峠田 佑志郎さん(2021/2/1)

峠田佑志郎さんの写真

「競技アシスタント」はペアで戦うアスリートとして共にメダル獲得をめざせることにやりがいを感じます

ボッチャに本気で打ち込んでいる姿に自分自身の障害者スポーツへの見方が大きく変わりました

~ボッチャという競技と出会った、きっかけになるエピソードをお話しください。~

小さいころからスポーツが得意で、サッカー、水泳、陸上、バスケットボールなどを続ける中で、素晴らしい指導者の先生方との出会いがあり、体育の教師を志しました。 教員免許を取得して採用試験に合格し、最初に配属になった学校が特別支援学校だったのです。
 「高校と大学でやっていたラグビーを学校の部活動で教えたい」という思いが強く、特別支援学校のこともわからないこともあり、当初は戸惑いもありました。
 そういうモヤモヤする気持ちのまま担任した高等部のクラスの生徒から「活動を見に来てください」と誘われるままに初めて見たのが、ボッチャという競技との出会いです。
 そのチームは、学校の卒業生と在校生で構成されるクラブチームで、全国大会で優勝するメンバーが何人もいる強豪でもあり、練習意欲や取り組み方が真剣で、ボッチャに本気で打ち込んでいる姿に自分自身の障害者スポーツへの見方が大きく変わりました。

~競技アシスタントになられたきっかけや高橋選手とペアを組まれたきっかけを教えてください。~

「活動を見に来て」と誘ってくれた生徒の競技アシスタントの方が忙しく、なかなか練習にも参加できない状況になり、代打のような立場で自分が競技アシスタントを始めました。
 その後は、ほかの選手の競技アシスタントをするようになったり、地域の小さな大会にも出場したりと、誘われるまま見ただけのボッチャに気がついたら夢中になっていました。(笑)
 さらに、多くの選手の競技アシスタントとしてボッチャを続けていく中で、日本代表選手ともペアを組んでいたのですが、その選手が体調との兼ね合いでボッチャから一時離れることになりました。
 一方で、同じクラブチームに所属していた高橋選手が競技アシスタントを探しているタイミングと重なったことが、高橋選手とペアを組むことになったきっかけです。

全力で競技に打ち込む環境をつくって、やれることは全てやらなければ、その目指す場所へ辿り着くことはできない

~現在は、学校を退職されて高橋選手の専属競技アシスタントになられたとお聞きしましたが、その決断に至る思いをお聞かせください。
また、そうした決断のうえで高橋選手と競技をされていて、「一番うれしいこと」「一番悔しいこと」を教えてください。~

スポーツを指導してくださった先生方を手本に志した教師を辞めるという選択は、それまで築いてきたキャリアを捨てるということであり、将来、学校へ戻ることは難しいこともあり、悩みぬきました。
 でも、高橋選手とペアを組むときに「東京パラリンピック大会でメダルを獲る」という目標を掲げたからには後悔だけはしたくないという気持ちがありました。「明日のことは一切考えずに、全力で競技に打ち込む環境」をつくって、やれることは全てやらなければ、その目指す場所へ辿り着くことはできないと思い、高橋選手と一緒に生活をし、練習時間を増やすためにも、学校をやめて専属競技アシスタントになる決断をしたのです。
 こうした環境をつくって競技に取り組む中で、一番うれしいのは勝ったときで、一番悔しいのは負けたときと、とてもシンプルです。ボッチャが競技という戦いであるからには、日本選手権や国際大会などの大舞台ではもちろんですが、地域の大会でもそうですし、練習パートナーのペアとの練習試合でも、どんな試合でも、どんな相手でも負けたくないです。

~競技アシスタントとしての「やりがい」や「気づき」などをお話しください。~
峠田佑志郎さんの写真1
写真下:高橋 和樹選手
BISFed2019 Seoul Asia Oceania Championship
提供:日本ボッチャ協会

名称がアシスタントなので「手助けをする」「高橋選手が主で、自分が従」という印象を抱かれるかもしれませんが、決してそうではなく、バドミントンや卓球などのダブルスと同様で、「ペアとして戦う選手でありアスリート」として上を目指していけることにやりがいを感じます。
 また、球を投げるときには高橋選手からの指示でランプと呼ぶ勾配具の高さを調整したり車椅子を移動したりするのですが、自分の考えているとおりの指示が来てキメたときは大きな喜びです。
 ちなみに、競技アシスタントは選手にアドバイスや合図を送ることは禁止されていますし、ボールの行方を目で追うのもボールの配置を見るのもいけないので、コートに背を向けていなければならないのですが、高橋選手や相手選手の表情、相手が投げるボールの種類や順番などで、見ていない試合展開がおおよそ想像できるものです。
 また、ボッチャの競技アシスタントは、選手と一緒にメダルを授かれることも誇りです。アシスタントという名前ですが、メダルが与えられるということは、それに値する役割があり、競技選手として認められている証でもあると思っています。

ボッチャは緻密な戦略の組み立てと試合展開で最後まで勝ち負けのわからないスリリングな競技です

~ボッチャBC3クラスの魅力や見どころを教えてください。また、世界レベルでのランキングなどもお聞かせください。~
峠田佑志郎さんの写真2
BISFed2019 Seoul Asia Oceania Championship
提供:日本ボッチャ協会

ボッチャの魅力や見どころは、一言で表すなら、緻密な戦略の組み立てと試合展開にあります。たとえば、何球か前に捨て駒のように投げたボールが勝敗を分ける決め球になって、試合の流れが急展開することはザラにあります。特に、BC3クラス(※)はランプを使って投げるので、自分の腕を使って投げるほかのクラスとは違って、ボールを置く場所をミリ単位で調整でき、ゲームの組み立て方や流れによって最後まで勝ち負けがわからないスリリングな競技なのです。
 また、世界での日本のランキングは、BC1とBC2のクラスは2位ですが、BC3クラスは7位です。ただ、現在のBC3クラスの1位はギリシャですが、そのギリシャとの最近の試合では互角の勝負ができています。ランキングの数字では差がありますが、自分たちは国際大会で多くのメダルを獲れるようになってきているので、ランキング上位のチームに負けないくらいに実力で迫っていると感じています。
 前回のリオパラリンピックのときは、高橋選手がギリギリで個人戦に出場できても予選通過がかなわず、団体戦では出場さえできないレベルでしたから、日本のBC3クラスは世界で一番勢いがあると思っています。

※パラリンピックでは、ボッチャ選手は障害の程度によってBC1からBC4までの4つにクラス分けされます。高橋選手のBC3クラスは最重度のクラスで、自力での投球ができないため、ランプを使用し競技アシスタントとともに競技します。

~「東京パラスポーツスタッフ」に認定されてのお気持ちを教えてください。また、本制度についての期待などをお聞かせください。~

ふだんスポットが当たらない、自分のようなボッチャの競技アシスタントや、ほかの競技でも縁の下で支えるスタッフに注目してくださり、自分たちの役割をまわりに広めていただける活動に、言葉が見つからないほど感謝しています。
 また、ボッチャの競技アシスタントのほとんどが競技選手の親や配偶者で、高橋選手と自分のように他人同士のペアは稀です。
 自分のこうした活動を通じて、多くの人に競技アシスタントのやりがいやボッチャの面白さを知ってもらい、多くの人にボッチャ選手とペアを組んでほしいと願っています。

一球一球に意味があるボールを投げる質の高い練習を積み重ねてきています
東京パラでメダルを獲り、多くの人にボッチャを認識してもらいます

~今後、パラスポーツやボッチャの未来は、どのように変化していくと思われますか。~
峠田佑志郎さんの写真3
BISFed2019 HongKong World Open
ペア1位
提供:日本ボッチャ協会

東京パラリンピックでは自分たちがメダルを獲ります。獲りたいとか、獲れるとかではなく、自分自身にプレッシャーをかけるためにも「獲る」と言い切ります。(笑)
 先ほど、「BC3クラスは世界のランキングで一番勢いがある」と話しましたが、リオパラリンピック以降に強化選手指定を受けた選手たちと月に一回の合同合宿、トップ選手が多い愛知へ出向いての練習試合など切磋琢磨し、一球一球に意味があるボールを投げる質の高い練習を積み重ねてきているので、メダル獲得に自信をもっています。
 自分たちが東京パラリンピックでメダルを獲ると、多くの人にボッチャが認識してもらえると思うので、世界を目指そうという選手と競技アシスタントが増えてくれると確信しています。

インタビュー: 2020年11月27日