東京パラスポーツスタッフ認定者インタビュー(5)
陸上競技(知的)・コーチ 岡澤政子さん(2019/3/13)

岡澤政子さんの写真

【プロフィール】
  • おかざわ・まさこ 1965年生まれ。
  • 特定非営利活動法人日本知的障がい者陸上競技連盟所属。
  • 1999年から知的障害の陸上競技アスリート指導に携わり、特定非営利活動法人日本知的障がい者陸上競技連盟の理事として育成活動を続ける。
  • 2018年アジアパラ競技大会(陸上競技)日本選手団コーチを務める。

特別支援学級の教員を続けながら、日本知的障がい者陸上競技連盟の理事として、競技を広く認知させるべく、20年近く知的障害陸上競技のコーチとして選手育成に尽力する岡澤政子さんにインタビューしました。

「知的障害のある陸上選手にも活躍できる場を!」

『進まぬ「知的障害」に対する世間の理解。』

~知的障害陸上競技の指導に携わるようになったのは、どのようなきっかけですか。~

中学校の特別支援学級に教員として着任し、知的障害のある子たちと授業や都内のスポーツ大会を通して接していた頃、同じ職場の教員仲間とその卒業生たちの余暇活動の場を作ろうと思い、私の陸上競技経験を活かして「陸上クラブ」を作ったのが始まりです。

そして全国規模の競技活動に関わっていた元同僚に誘われて、日本知的障がい者陸上競技連盟の元となる大会運営にボランティアで参加したことがきっかけで、本格的に指導に取り組むようになりました。

~日本知的障がい者陸上競技連盟設立にも尽力されたそうですね。~

立ち上げの頃は、まだ若かったので大した力にもなれませんでしたが、当時、40代から50代の諸先輩方が中心になって尽力する姿を見ながら勉強させてもらいました。設立で苦労していたのは、「知的障害」が依然として社会に理解されていないことでした。今でも世間の理解は進んでいないかもしれません。

岡澤政子さんの写真2
~理解が進まないのはなぜだと思いますか。~

見た目だけでは障害があるのか、ないのか判断し難いこともあり、知的障害のある選手たちの頑張りが世間にはあまり届かないことが多いからだと思います。

~この状況を選手たちはどう思っているのでしょうか。~

見た目から「これくらい出来るでしょ?」と思われてしまうことがスムーズに受け入れづらいかもしれません。本人たちは、「頑張ってもここまではなかなかできない。」ということを分かって欲しいという気持ちがあります。

経験上、特に男子選手だと言葉足らずの場合が多いので、横柄な態度に見られてしまい、やる気がなく、開き直ったように思われてしまう傾向があります。本人たちにはそんなつもりはないのに誤解を受けてしまいがちです。

指導を始めた頃は、練習場所を探していて、「知的障害」と言うと、断られてしまうこともあり、まだまだ社会の理解が不十分だからこそ、選手たちを育てなければいけないと思いました。この子たちが出来る礼儀やマナーを、練習を通じて教えていくことを考えました。コーチとして選手の身体能力を伸ばすだけではなく、生活部分でもサポートしています。

『練習だけではなく生活面にも気遣い。』

~試合や遠征で気をつけていることはありますか。~

声掛け一つで、彼らの気持ちはアップダウンしてしまいます。選手たちは良いことを言われたい、褒められたいと思っているのですが、そこで褒めてしまうと、満足して競技のパフォーマンスが上がっていきません。試合期間中にパフォーマンスを上げていくとなると、褒めるばかりではなく、励ましを入れていかないとモチベーションを維持できません。

それに生活面では食事の摂り方、衣服の管理などもあります。例えば、遠征先で洗濯しなければならない場合、それをタイミング良く行っていかないと、試合までに衣服が足りなくなってしまい、選手本人たちが不安を引き起こして試合に集中できないこともあるのです。

~コーチとして心掛けていることは何かありますか。~
岡澤政子さんの写真3

今指導している選手たちは社会人なので、学生とは違い、仕事と両立しています。選手はアスリート雇用ではないので、9時から5時まで働いて、残業もあり、お休みすればその分の給料が減ります。そんな状況なので、試合や遠征後の仕事のことや職場の様子まで気を使うようにしていますね。

~今まで指導にあたり、影響を受けたものはありますか。~

やはり、連盟を立ち上げる段階で、最初に声をあげて、基盤を作ってくれた先生方や福祉施設の職員の方々の想いですね。成績を上げてメダルを獲ることも大事ですが、知的障害者が家庭と会社以外に輝ける場を作ること、世の中の知的障害(者)に対する理解促進、そういう想いが、指導の中にあります。

~教職と競技指導の両立はいかがですか。~

今の職場はコーチとしての活動を理解してくれているので、遠征があれば「頑張ってください。」と言って、送り出してくれますし、勤務している学校はオリンピック・パラリンピック教育を推進しているので、海外遠征の様子を写真やパネルにして、校内に掲示してくれたりします。自分が受け持っている生徒たち、選手たちと接するバランスが重要です。

~岡澤コーチのリフレッシュ方法は何ですか。~

この競技指導がリフレッシュの一つです(笑)。月曜日から金曜日まで働いて、疲れは感じますが、この指導場所に来て選手たちと関わることでリフレッシュできます。あとは自宅の犬に癒されたり、ショッピングで発散したりします。周囲からはお酒を呑むように見られますが、一滴も呑めません(笑)。

『「アスリート・センター」※で環境整備を。』

~「東京パラスポーツスタッフ」に認定されて、どのようなお気持ちですか。~

東京都から選ばれたことは嬉しいです。しかし、私の他にもコーチやトレーナーで、都内で仕事をしながら、ボランティアで活動をしている方々は多くいます。

今後、より多くの人が東京パラスポーツスタッフに認定され、制度が広まっていけば、職場や地域からの理解も広がって、職場からコーチの活動に出やすい環境になり、仕事との両立がもっと進むと思います。この制度が始まったのは有難いことですが、できれば、もっと早くスタートして欲しかったです(笑)。

~パラリンピックに向けた環境の整備状況をどのようにお考えですか。~
岡澤政子さんの写真4

ようやく、パラリンピックがオリンピックに徐々に肩を並べられるようになってきたと感じています。

よく「アスリート・ファースト」という言葉を聞きますが、先日見かけたのは「アスリート・センター」という言葉です。※「アスリートを中心に色々なことを考えていこう」という言葉です。ファーストよりも、アスリートを中心に、アスリートが使いやすい施設、アスリートが遠征に出かけやすい環境づくりなどを行うことで、アスリートへの理解が深まって欲しいです。

~今回の認定で周囲から理解が得られやすくなったわけですね。~

そうですね。学校の先生たちからはオリンピック・パラリンピック教育の中で「選手を紹介して欲しい。」と言われることもありますし、「岡澤先生はどうしてパラスポーツの世界に顔を出せているのですか。」と聞かれることもあり、興味を示してくれる人が増えてきました。

~「スタッフ」とはどういう存在だと思いますか。~

裏方だと思います。「私が育てました。」なんて気持ちは更々なくて、自分も色々な人に協力してもらってお世話になっています。選手たちがパフォーマンスを上げてくれれば、それで良くて、スタッフは表に出る必要はないと思います。選手にとって、不安になった時に話ができたり、アドバイスができたり、自分がいるだけで選手の練習環境として成り立つ存在でありたいと思います。

~東京2020パラリンピックを控え、知的障害陸上競技の今後の課題は。~
岡澤政子さんの写真5

とにかく種目が少ない。知的障害陸上競技は身体障害と違い、パラリンピックにはクラス分けが「T20」「F20」しかありません。また、出られるのは4種目しかなく、「400m」「1500m」「走幅跳」「砲丸投」だけです。この4種目だけということを、多くの人が知りません。

これから先、知的障害者が出場できる種目が増えて欲しいです。東京2020パラリンピックでは無理かもしれませんが、4年後、8年後には期待しています。選手たちはパラリンピックに出たい気持ちがあっても、種目が限られて難しいと思ってしまいます。知的障害陸上競技にとってはこの出場種目が少ないことが大きな課題です。

~これから競技を始めてみたい知的障害のある方にアドバイスをお願いします。~

まずは興味を持ってもらうことです。いきなりパラリンピックを目指すのは難しいので、最初は東京都の障害者スポーツ大会から、全国障害者スポーツ大会を目指して、そこから更に自分の可能性を広げていって欲しいです。

東京2020パラリンピックはもうすぐですが、選手たちの挑戦は4年後、8年後、12年後と、まだまだ続きます。「出場できる競技が少なく、ちょっと成績が伸びないから、辞めてしまう」というケースが多いのも知的障害のある選手の課題です。競技を始めたからには長く続けて欲しいです。

~最後の質問ですが、選手たちが勝てるように、何かゲン担ぎしていますか。~
岡澤政子さんの写真6

(ネイルを見せながら)これです(笑)。今は金色です。普段はもうちょっと抑えた感じですが、試合の時はネイルに「日の丸」を入れたりします。それから勝負靴下も履いて応援します。

特定非営利活動法人日本知的障がい者陸上競技連盟ホームページ

外見からは障害が分かりづらい知的障害のある選手たち。それだけに周囲からの理解が得られずに苦労も多いと言います。そんな彼らが活躍できる「場」を作ろうと、岡澤コーチは懸命に世間に働きかけ、選手とともに頑張っています。いつか出場種目が増え、たくさんの知的障害のある選手たちがパラリンピックに出場する日を心待ちにしています。