東京アスリート認定選手・インタビュー 加納慎太郎選手(江戸川区・千代田区) 車いすフェンシング(2018/12/25)

加納慎太郎選手の写真

【プロフィール】
かのう・しんたろう 1985年3月2日生まれ。ヤフー株式会社所属
障害:左下腿切断
2018年 ハンガリーW杯 フルーレ14位、サーブル14位
2018年 ワールドカップ カナダモントリオール フルーレ2位、サーブル2位

車いすフェンシングで国内ランキング1位、国際大会や海外遠征でも活躍してランキングを上げている加納慎太郎選手にインタビューしました。

「観戦してくださる人たちに
競技の楽しさを伝えたい。」

〜16歳の時に交通事故に遭われてから、車いすフェンシングを始めるまでの経緯について教えてください。〜

加納慎太郎選手の写真2

僕は、父親の影響で、小学生の時から事故に遭うまで剣道をやっていました。事故後も、リハビリをしてから健常者に混じって剣道を続けていたのですが、2013年に東京2020パラリンピック競技大会開催が決まり、何か自分で出来る競技はないかと探していたところ、剣を使う競技、車いすフェンシングと出会いました。

〜長年、続けていた「剣道」は、競技のうえで何か影響がありましたか。〜

剣道とフェンシングは、まったく違う競技でした。剣道のクセが少し抜けずにマイナス面となることもありましたが、間合い、モチベーション、メンタリティーなどプラス面もありました。

〜競技生活の中で、何か転機となったことはありましたか。〜

毎回の練習、毎回の試合が、転機のように、気付きの場です。あの時の1本はこうだったなとか、試合には勝ったけどこうだったなとか、あの時、こうだったから負けたんじゃないかなとか、いつも振り返って考えます。上達しないといけない立場で、競技の面白みもわかってきたからこそ、常に気付きがあります。

〜車いすフェンシングの元香港代表で、日本代表ナショナルコーチである馮英騏(フン・イン・キィ)氏から指導を受けてみて、いかがでしたか。〜

キィ・コーチは、とても選手のことを考えてレッスンされる方です。練習時間に付き合っていただき、ありがたいですし、僕以外の選手たちも競技レベルが上がっています。

コーチは、とにかく生活面からきっちりしていて、一つ一つの対応、一つ一つの道具にしてもこだわっています。そうした「こだわり」を持っていないと一流のトップ選手になれないんだろうなということを学びました。またフェンシング以外でも学ぶことはいっぱいあり、コーチが日本に滞在している間に、貪欲に吸収していきたいと思います。またコーチには是非、日本のことを好きになって帰って欲しいです。

〜現在、フルーレ、サーブルと国内ランキング1位ですが、それを維持していくのは大変ではないですか。〜

競技で使う車椅子

いまは世界で戦うためにどうしたらいいのかを考えています。国内ランキングに固執しすぎて、国内選手との関係が悪くなってしまうのも嫌ですし、そもそも競技人口が少ないので、国内ランキングが全てではないな、と思っています。

ヨーロッパ発祥のフェンシングをアジア人がやっていること自体、ヨーロッパの人からすれば「何で?」と思われるわけで、世界でも競技人口が少ない日本で、国内ランキング1位になろうという気持ちより、国内の競技人口を増やして、強化して、いかに観戦してくださる人たちに楽しさを伝えられるかの方が優先されることだと思っています。車いすフェンシング全体を活性化させたいですね。

〜競技における自分の強みはどこだと思いますか。〜

自分で言うのも何ですが、真面目なところでしょうか。僕は障害を持ったことで、自分自身に対して悔しい想いをしてきて、どこかに強くなりたいという気持ちがありました。そういう気持ちで青年期を過ごしてきたという背景が、真面目に練習することにつながった気がしますね。

〜「東京アスリート認定選手」に認定されて、何か意識が変わりましたか。また周囲からの反応などはありましたか。〜

会社の人や家族は、「東京アスリート認定選手」に認定されたことを喜んでくれました。「頑張って」と応援してくれたり、「ネットで見たよ」とか、声をかけてくれるのが嬉しいです。

いま西葛西に住んでいますが、都民の皆様に応援していただいてるので、私生活面でも自分を律して、気持ちを引き締めながら暮らすように心がけています。支援していただいている立場である自覚を常に持つようにしています。

〜2020年パラリンピックへ向けての課題と目標をお聞かせください。〜

まずは10月に開催される「アジアパラ競技大会 2018」※で結果を残し、そこでの課題を明らかにすることが1番の目標です。これからも大会ごとに成長したいと思っています。

大会が東京で開催されることは日本人として誇りに思いますし、嬉しいです。試合で出会う海外選手たちからは、東京はどんなところだ、日本に行くのが楽しみだよと言われます。

  • 本取材は2018年9月13日に実施したもので、10月6日から開催されたアジアパラリンピック競技大会2018において、サーベル団体では銅メダル、フルーレ団体では銅メダルを獲得した。

〜競技を観戦する際に見どころなどがあれば教えてください。〜

見るよりも、やった方が楽しい競技だと思いますが、分かりやすいルールで先に突いた方が勝ちになる「エペ」あたりから観戦してみるのがいいかもしれません。緊迫感、間合い、マスク越しの駆け引き、そういうのは観ていておもしろいと思います。

〜競技と仕事の両立はどのように行っていますか。〜

川村京太選手の写真3

入社面接時、人事担当者から「うちはアスリート雇用でも甘やかすつもりはない、むしろ、厳しく」と言われました。僕も自分を成長させたいし、ビジネススキルを身につけたいし、競技という夢も諦めたくないので、自分にはぴったりだと思って、ヤフー株式会社に入社させてもらいました。

僕の場合は、会社を午後に退社してトレーニングしています。すぐ午後になってしまうので、朝早めに職場に行って、早めに帰るというのを心がけています。仕事の時は朝5時に起きて、6時半前には出かけ、7時半には出社して仕事を始めるというのが、入社してからの日課です。代表選手の合宿や試合の時は休みをいただいて参加しています。

僕が退社する時には、職場の皆さんはまだ仕事で頑張っていらっしゃるので、そういう姿を見ると、自分も頑張ろうと思います。また逆に僕の姿を見て、頑張る気持ちが湧いてくると言ってくれる人もいて、互いに影響を与え合えているのかなと思います。

〜空いた時間の過ごし方について教えてください。〜

部屋の掃除をしています。お風呂やトイレなどの水まわりを掃除して、洗濯をします。僕は大雑把な性格だからこそ、常に心がけています。やらないと、とんでもないことになってしまいます(笑)。

〜お気に入りの場所があったら教えてください。〜

川村京太選手の写真4

よく練習をしている日本財団パラアリーナ周辺です。ここから見る海側の景色が好きです。空気が美味しく、いま、ここがお気に入りの場所です。練習終わりにストレッチをしながら海沿いを散歩しています。風や雲の動きを見ながらリラックスしています。

〜将来の人生設計はどのように考えていますか。〜

競技を通じて、インタビューしてもらったり、いろいろなチャンスをいただけているので、競技に対して、いまは結果で恩返しをしようと思っていますし、引退しても、指導や普及にあたったりとかサポートできるような人間になりたいです。また仕事では、これまで競技に費やしていた時間を仕事に注ぎたいと思っています。いま享受していることへの恩返しをしながら、競技との繋がりを継続していければと思っています。

〜2020年パラリンピックを楽しみにしているスポーツファンに一言お願いします。〜

ぜひ、僕を見に来てください!と言いたいのですが、まずは出場できるようにしないといけません(笑)。皆さんと一緒に大会を盛り上げていきたいと思います。みんなが主役です。僕もどんなカタチであれ、盛り上げたり、手伝ったり、できるような存在になりたいです。海外から来る人たちに、日本の良さが伝わる大会になるように、僕も東京都民の一員として思っています。

加納選手は剣道から車いすフェンシングへと転向するために、遠く福岡から上京してきました。そのような実体験から、もっと気軽に障害者スポーツに挑戦できる環境づくりをしていきたいという思いが強いです。加納選手にとって、東京2020パラリンピック大会は、自分自身への挑戦であり、障害者スポーツの裾野を広げるための挑戦なのかもしれません。

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