~オリンピック・パラリンピックを目指すアスリートを応援~
東京アスリート認定選手・インタビュー(9)
橋岡優輝選手(小平市・八王子市) 陸上競技(走幅跳) (2017/3/16)

東京都では、東京のアスリートが、オリンピック・パラリンピックをはじめとした国際舞台で活躍できるよう、競技力向上に向けた支援を実施するとともに、社会全体でオリンピック・パラリンピックの気運を盛り上げるため、「東京アスリート認定制度」を創設しました。

このページでは、認定選手の皆さんに「スポーツを通して自分を成長させ、スポーツと社会のよりよい関係を考えていこう」というテーマで、インタビューをしていきます。

橋岡優輝選手の写真

第9回 橋岡優輝選手(小平市・八王子市) 陸上競技(走幅跳)

【プロフィール】
はしおか・ゆうき 1999年1月23日生まれ 八王子学園八王子高校在学中 種目は走幅跳
2016年度は、インターハイ、国体、日本ジュニア選手権で優勝
昨年出した、自己ベストの7m75は、高校歴代7位タイの記録。
(公財)日本陸上競技連盟が認定するダイヤモンドアスリート。

あらゆる機会、人から、積極的に学び
世界で活躍できる"出力"を上げていきたい

ビックジャンプをきっかけにさらなる上のステージへ

7m70という高校2年生の跳躍に、陸上界が沸いたのは、2015年秋。日本ユース選手権の男子走幅跳決勝で、橋岡優輝選手は、当時の高校歴代10位のビックジャンプを決めた。自身でも「着地までが長く感じられた」というその一本は、橋岡選手をひとつ上のステージに引きあげた。日本陸上競技連盟が認定する"ダイヤモンドアスリート"に選ばれたことも、そのひとつだ。東京オリンピックでの活躍が期待されるU19世代から、タレント(才能)を持った競技者(原石)が認定され、強化育成を図る制度。競技力を上げるだけでなく、人間性や国際性を高めることも目的とし、英会話など様々な研修会が行われている。

競技中の写真

「そこで出会った選手たちの考え方に共感するものが多くて、とても刺激を受けました。ある先輩には、世界に出て"活躍する"ためには、動作の一つひとつに求めるもののレベルを上げていかなくてはいけないということを、気づかせてもらいました。選手同士の会話や研修での講義などから、物事を多角的に見たり、考え方はひとつではないこと、世界に向けての心構えなど、たくさんのことを学ぶことができました」

高校3年生の夏に出場した世界ジュニア選手権では、思い通りの跳躍がまったくできず、未熟さを思い知らされたという。「外国選手は力を出すところが違うというか。自分は海外の試合だと少しリキんでしまって。でも彼らは慣れた感じで、伸び伸びと競技していて、場慣れしているなと。実力も経験も、自分はまだまだ足りないと実感しました」
 昨秋、ロンドンオリンピック、リオオリンピックの金メダリスト、三段跳のクリスチャン・テイラー選手が来日したときは、クリニックに参加し、世界チャンピオンの人間性に惹きつけられた。「とにかく基本が大事だと。練習のときから一つの基本動作をものすごく考えていて、競技を常にとことん追求している。走幅跳も三段跳も、体ひとつで戦う競技なので、メンタル面の考え方などもしっかり鍛えていかなくてはと思いました」

両親は陸上界の著名選手でも、陸上を薦められることなく、自ら始めた

陸上界きってのサラブレッドと呼ばれる橋岡選手。父は棒高跳で日本選手権を7回優勝。母は走幅跳で史上初の中学生6mジャンパー。高校以降も走幅跳・三段跳・100mハードルで活躍し、社会人のときには100mハードルで日本選手権を連覇している。そのDNAを継ぐ一人っ子だが、両親から陸上競技を薦められたことはないという。小学校時代は特にスポーツはせず、中学入学のときに、今から球技を始めても出遅れたことになるからと、両親と同じ陸上部へ自ら入部した。2年生からは、四種競技(110mハードル・砲丸投げ・400m・走高跳)に取り組み、幅跳びに本格的に取り組み始めたのは、高校に入ってから。シドニーオリンピックの走幅跳日本代表の元選手が陸上部のコーチを務める八王子高校に入学が決まると、家族で埼玉から東京に転居し、今に至る。入学当初は、ひたすら走り込む日々。地味できつい基礎練習がほとんどの、1年生の冬場のトレーニングをやりきれたのは、高校屈指の400mハードラーの先輩に「ついていきたい」一心だったと振り返る。2年生になると、大会ごとに記録が伸び始め、インターハイで4位入賞し、日本ユース選手権の好結果へと続いた。3年生では、インターハイ、国体、日本ジュニアの3冠を達成。夏に自己ベストを更新する7m75を跳んで、高校歴代7位タイを記録した。

競技中の写真

「普段は、練習で跳んだときの自分の感覚を、指導してくださっている高校の先生に伝えて、すり合わせをしています。試合には両親もよく見に来てくれて、ビデオを撮ってくれています。家に帰るとその録画を一緒に見ながら話もしますが、あまり細かいことは言いません。父は棒高跳の日本記録保持者でしたけど、同じ種目を薦めることはなかったですし、母は栄養など、元選手として様々な情報を持っていて、サポートしてくれますが、家では競技の話をあえてしないときもあって、仲のいい家族って感じで。いつも感謝しています」

さらに"出力"をレベルアップさせてオリンピックでメダルを狙いたい

日本の男子走幅跳の日本記録は、1992年に当時の大学生選手が樹立した8m25。橋岡選手は、まもなくその日本記録保持者が今はコーチとなって指導する、日本大学へと進む。自分以上の記録を持つ先輩選手たちとの切磋琢磨の日々が待っている。
 「8m越えというより、早く8m20を跳んでみたい。そうしたら新しい世界が見えてくるのではないかと。そのために、今の自分に必要なのは、助走の"出力"を上げること。自分の強みは安定して跳べるところだと思いますが、空中動作をさらに改善して、"出力"のレベルアップをしていけば、うまくハマったときに、8m10,20は行けるような気がしています」

競技中の写真

ちなみに、リオオリンピックの、男子走幅跳の1~5位は、1位 8m38、 2位 8m37、3位 8m29 、4位 8m25 、5位 8m17。橋岡選手は、「東京オリンピックで表彰台、その次の2024年のオリンピックでは、金メダルを取りたい」と目標を口にする。
 まだ、オリンピックも世界選手権も出場していないが、オリンピックや世界陸上のインタビュー記事などを読んで予習に励み、ダイヤモンドアスリートの研修では、その道の成功者から、成功するためのプロセスを聞いて、自分の陸上に生かそう、吸収しようと余念がない。

「リオオリンピックでは、体操男子が苦戦しながらも、土壇場で強さを発揮して、逆転で団体金メダルを獲得した試合が印象的でした。メンタルの勝負強さは、日ごろの練習に対して強い気持ちで臨んでいるからなのかと、自分に重ね合わせて見入ってしまいました」
 オフは完全な"インドア(自宅)派"。「寝ているか、マンガを読んでいるか。自宅でのんびり過ごしていることが多いです」。緩急の切り替えも、自然にできているという。
 東京オリンピックまであと3年半。期するものは大きいが、気負いはない。体格に勝る海外のロングジャンパーに、対抗するすべはあるかと尋ねると、「そうですね、僕も183㎝あるので、それほど小さい方ではないですけど。(リオオリンピック5位の王選手は180㎝)体格の差は、技術の差で縮めていきたい。親から受け継いだDNAでは、引けを取らないと思っていますから」。さらりと着地した。

テクニカルサポート事業

東京都では、オリンピックなどの国際大会で活躍する東京育ちのアスリートを育成するため、都内体育系大学と連携し、スポーツ医・科学的な面からサポートを行うテクニカルサポート事業を実施。橋岡選手も高校1、2年生のときに、メディカルチェックやコントロールテストなどを受けた。基礎的な体力要素として瞬発力、筋力、敏捷性、筋持久力、全身持久力などを測定し評価。結果から、基礎体力の特徴(長所、弱点等)を把握し、競技に役立てている。

コントロールテスト
http://www.tef.or.jp/sports-science/control_test.jsp#honbun_top

オリンピックでの日本の走幅跳

男子走幅跳において、日本の男子選手は2度、メダルを獲得している。
1932年ロサンゼルスオリンピックの南部忠平選手の銅メダル。
1936年ベルリンオリンピックの田島直人選手の銅メダル。
戦後では、1984年のロサンゼルスオリンピックで、臼井淳一選手が7位入賞して以来、日本の走幅跳選手に、オリンピックでの入賞者はいない。
ちなみに三段跳のメダリストは3人とも金メダルだ。
1928年アムステルダムオリンピックで織田幹雄選手が金メダル。
1932年ロサンゼルスオリンピックで、南部忠平選手が金メダル。
1936年ベルリンオリンピックで、田島直人選手が金メダル。
南部選手、田島選手ともに、走幅跳と三段跳、Wでメダルを獲得している。

【スポーツを通して身に着けられるライフスキル】

何事に対しても意欲的な姿勢で取り組んでいる。人から素直に学び、刺激も取り入れて、高いモチベーションを常に保ち続けている。自分の前を行く人の背中を追い、今はひたすらに追いつき、追い抜くための努力を重ねて、力を積み上げる時期。同じように高い目標を掲げてまい進する同世代の仲間と、同志意識が持てるのも心強い。ケガやスランプ、人間関係など、思い通りにならないことに直面した時もまた、人としての引き出しを増やせるチャンスだと考え、これからもしなやかに跳び越えていってほしい。